「看取り直しが出来る究極のヒーリングムービー」
こんな風に言われているドキュメント映画です。
まず最初にお伝えしたいこと。
私はこの映画のちらしをいただいた時に
号泣しそう・・・、見れるかな?
ティッシュをたくさん持参しなくちゃ!
なんて考えておりました。
しかし・・・これは悲しいとか辛いとかそんな映画じゃないんです。
この今生に生を受けて
この命(人生)をいかに生きていくか
そしてどんな最期でこの世を卒業していくかを
真面目に考えることができます。
怖がらずに、ちゃんとまっすぐに生死観を見つめることで
人生に前向きになれる映画です!!
この映画は、長谷川監督のご主人がガンになり、余命宣告を受けてから「生還」を信じて撮影した闘病生活が、ありのまま描かれています。
映画では、前半は色々な方々の家族の看取りかたのインタビュー。
後半は監督のご主人であり家族の長である父親を、家族のひとりひとりがどのように受け止めてどのように見送ったかが、そのまま映っています。
私はこの映画を見て、今まで「死」に対するタブー視によって、どれだけ自分が洗脳されていたか思い知らさせれました。
「生」と「死」
これは切っても切れないもの。
生まれた以上、死ぬことは避けられないのだから、タブー視する必要はないのだと。
なんとなく頭でわかっていても、「死」というものに対する恐怖や恐れがありました。
特に人を看取ることへの恐怖がありました。
私は母を32歳の頃に看取りました。
最期は病院で延命治療を受けていました。
亡くなってから、延命治療はやらなければよかったのかな。
とよぎる事がありました。
それは大きな後悔というほどでもないけれど、自然治癒力を大切にしていた母には必要なかったかも。
と少しだけ思うことがありました。
この映画を見て、看取りかたはいろいろあるけれど良いも悪いもないのだと思えました。
そして、自分の最期を思い描いた時に
「幸せだったなぁ、ありがとう」
と笑顔で移行して逝きたいなと思いました。
この人生の中では、悲しい事やつらい事、心が折れそうになることもたくさんあります。
私もたくさんあります。
だけど、その感情を引きずって時間を無駄にするより、同じ時間を過ごすなら笑顔でいたいと思いました。
感情を引きずるのは自分自身。
だったら、自分の考え方をちょっとだけ違う角度にするだけで楽になれます。
悲しい事、つらい事があったことは事実です。
でも、それを何日も持ち続けても自分が辛いだけなんですよね。
だから、その出来事によって今後はこうしていこう!と前向きに考えられれば出来事を過去のものにすることができます。
過去は過去、変えることはできません。
それを踏まえてどう生きていくかは自分次第です。
人はみな死に向かって生きています。
だったら、私は生きている時間は幸せで笑顔の時間にしたいです。
自分ができることをできる範囲でやっていくこと
楽しいと思えることを楽しんでやること
自分を喜ばせることをすること
これを踏まえて、死ぬ瞬間まで楽しく生きていきます。
自分が生きているのは、多くの命のバトンがあったから。
その大切な命を粗末にできません。
それは、多くの命に支えられてきたものだから。
自分が死ぬと今度は自分が生きている人を支える番です。
上から見たときに、生きている人が不幸より幸せそうなほうが嬉しいですよね。
自分の幸せは上の人にも繋がります。
だから、自分の命を大切に最期まで生き抜きます。
前向きに常にチャレンジし、自分のため、人のために、生きていきます。
そんな風に、自分の授かった大切な命をどのように生き抜くかを考えさせられる映画です。
死は誰にでも訪れます。
なので、ひとりでも多くの人に見て欲しいです。
上映会は小田原の三寶寺というお寺で行なわれました。
隣には素敵なカフェも併設されており、不思議な異空間の中で美味しいコーヒーをいただきました。
映画の監督は素敵な女性で、すべての上映会は講演も一緒に行なっているので全国を飛び回っています。
映画の後に、この講演を聴く事がとくに重要で、これを聴くことによりようやく映画の内容がつかめる感じです。
監督は自分で脚本を書き、自分の声で語り、家族を抱いて看取った方々にも自らインタビューし、編集し、音楽も自分で作曲し、演奏し、主題歌を歌っておられます。
会場に行って、その歌声と講演を聴けばそのパワーももらえます。
ぜひぜひ、多くのかたにご覧になっていただきたいです。
ちなみに、ご住職はダライラマ法王似で、キリスト(笑)が好きなおちゃめなかたでした。
宗教も色々あるけど、元はひとつなのでどんな宗教でも良いのですという太っ腹なお方。
このご住職の法話もぜひ聞いてみたいなぁ。